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『地球人類自らが、この動物の相食む様相を観て深く反省し、動物を食するを止め、一切の闘争心、残忍性を捨て去り、過去より累積なしたる業想念を悉く光明の想念もて払拭なしたりとせば、猛獣は次第に猛獣性・残忍性を消散し、毒蛇は毒の効力を消失せん。
更に過般に申せし如く、西暦1960年より、地球には親星なる太陽より一段と高き波動を送られ、徐々に高められつつある故、地球人類が一切の闘争心を捨て去りし時、かく猛獣・猛禽・毒蛇の類は早晩棲息なすあたわざるよう相成るなり。
宇宙は無限の発展なり。それが仮に如何なる発展段階にあろうとも、自然物は原則として全体の為に益せざるもの一つとして無きことを知るべきなり。
仮にこれ等猛獣たりとも、人類がその猛獣性を観て自らを反省するならば、この猛獣達、人類に反省の機会を与えたるものにして、その猛獣性に意義なしとは申せざるなり。
汝ら地球人の中に些か疑う者あらん。もしこの地球全人類が一切の闘争心を捨て去れば、この地球上より、やがて猛獣・毒蛇の類は消失すると神が言いたるを。
ならば疑う者に告げん。もし汝らの暮らしの中に、不潔極まりなき想念を持つが故に、その暮らしに悉く清潔を失いたりとせば、やがてその周辺に不潔が充満し、間もなく其処には蝿・蚊の類が飛び交うなり。これ、其処に住む者達の不潔の想念波動の結果なるなり。
汝らが雰囲気と称する、その場に於ける名状し難き心に感受なす気配は、その場に於ける諸条件より発したる波動を感受なしたる作用なり。地球地上の雰囲気は地球人類の発する想念波動による道理なるを理解せんや。
凡そ人類が外界に認識せん諸現象は、その人類の起こせし想念波動の結果の表出なり。
全人類意識が善念にて浄化され、その浄化されたる意識の波動が全地球を被い、動物に植物に、更に微細なる生物までにも及びたれば、何ぞ其処に他を食む様相などあらんや。
優良星界人達は如何なる闘争心もあらざるなり。彼等は仮に其処に猛獣があろうとも、如何なる敵愾心も些細なる恐怖心も懐かざりて、却って心に好意を懐くなり。故にその猛獣は何ら危害を加えざるなり。
彼等、優良星界人達は、その猛獣も一なる大神様より分かち与えられたる生命波動の進化の、或る段階にある友なることを良く知るが故なり。
無論、優良星界には、その波長高きが故に猛獣・猛禽・毒蛇・毒虫の類は一切棲息なすあたわざるなり。
彼等は自己自身を傷付けざりて、他の何者をも傷付けることの不可能なる意味を理解なすなり。
地球人類は猛獣はおろか、人間同士が互いに身構えてくらすなり。恐怖心・敵対感情、これ皆、愚かなる自己保存欲なり。
無論、恐怖を与える行為、敵意をそそる行為は、肉食獣と同様の低き心の波長なり。その行為によりて世を汚したる者、来世の苦痛は一入厳しきなり。
畢竟、地球上にて猛獣等の相食む様相の存在するは、これ、猛獣そのものの本来の性質にてはあらざりて、地球全人類の闘争的精神波動の投射なることを知らざるべからず。かくの如く地球人類は自然環境と称する外界の事象は、人類想念とは無関係なりとの概念を抱きつつ暮らし来たるも、この在来の愚かなる想念を打破せざるべからず。
地球人類は一方にて平和と安寧を求めながら、他方にて不調和と破壊の原因を作り来る愚を然と反省せざるべからず。
さて、若し存在する物の中に、その環境の変化にて全体の為に益せざる物の生ぜし場合、それが生物の身体の或る部分ならば、その益せざる部分は退化なすなり。また、それが人間ならば、その者は早晩亡ぶる外なきなり。
しばしば伝えし如く、地球は西暦1960年より、従来に比べ一段と高き波動を、親星なる太陽より徐々に送られつつあるを述べしなり。
この波動によりて地球上の猛獣、毒蛇、の類は徐々に衰退し、天則に外れし人間は難病、奇病、事故などにて徐々に死滅なし、また一方、霊位高き者、理念愈々啓発され、人類の寿命は徐々に延長されん。
これ、環境の大いなる変化なることを知るべきなり。
されど打ち明け申すが、地球人類の中で、難病、奇病にて徐々に死滅なす者達よりも、尚一層、悪しき心的状態にある者達もありて、尚暫くは棲息を続けん者達もあるなり。
この心の悪しき者達の容易に亡びざるは、その者の背後にありてその者と同一化なしある、邪神、邪霊の傀儡となりてその命を保つ者達なり。
最早それは人間にはあらずして、邪神、邪霊が肉体を有したる姿なり。その者達は表面上は宜しきに繕えども、その内心は破壊的思想を固執する以外の何者にもあらざるなり。彼等は唯その邪神、邪霊の執念にて生きある亡者なり。
かくの如くにして生き永らえたる人間は、最も天則に外れし不埒なる肉体の生存にして、その者達の死後は幾千年間に亘りて、不良星地獄の暗黒にて悶絶的責苦と共に幽閉されんこのことを明かしおくなり。
さて、この宇宙は恒に、「永遠の今」の中にあり。この宇宙間の生命は永遠の今の中にありながら、その環境の変化に適応なし得る者のみが、永遠の至福の道を歩む者として、より高き進展の場を得るなり。
これ、地球学にて申す適者生存とは全然異なる意味なり。
即ち地球学にて申す処の適者生存とは、人間の肉体のみを人間の真実在と錯覚せる上にて、その肉体の生死、発展のみを対象として論じたるものなり。
宇宙学で申す処の適者生存とは、人間の本質なる生命の連続性を踏まえ、その永遠なる生命がより高き場に進展なすべく、外界との波動の調律を悟らん者を謂うなり。
高き処の住民なる生命は、幾百万年、幾千万年となく、彼の至高なる叡智者より発せらるる環境の試練に耐え、彼の叡智者の法則を自然の中に開悟なすが故に、他を排撃し、他を殺生なすことの如何に天則に反したる行為なるかをよく認識なしたるなり。
畢竟、彼等は「他を生かす者は生かされん」と言う天則より一歩も逸脱することなきなり。
これに反し、地球上にての生存競争は相互に利益が背反し、己の肉体のみを生かさんが為に相手を生かさざるなり。
地球人類も、この「他を生かす者は生かされん」と言う高次なる生存原理の悟りの大道を切り拓くならば、最早、そこには醜悪なるもの、敵対するもの、その一切が視界より消失し、悉く至高なる目的を仰ぐ美しき聖道へ歩む途上なることを発見なすならん。
この低き処より、一層高まらんと目指す諸々の意識は、不可視、不可触なるも、あらゆる次元に働き掛ける宇宙意識の内に秘めあるなり。
これ、高き処より低き処に流れんとなす意識あり、これ、法則なり。この法則に拠りて低きものは、より高き場へ飛翔せんとなすなり。
かくして至高なる目的に向かわんが為に、人間は体験の道程を歩みつつ進展なしあるなり。仮にその体験が、今下賎なる作業なりとも、或いは支配的立場に措かれようとも、程度の差はあれ、あらゆる人間はその殆どの過程を踏まえ体験なさざれば前進できざるなり。
地球現生人類中の、優良星界より下ろされし先進人類は、嘗て諸々の体験を通過なしたる者達なれど、我と欲心強き性格を自己修正出来得ざりし者達なるが故に地球上に下ろされ、再び体験を強いられし者達なり。
畏れ多くも宇宙創造の大神様の御教えに、「我を折り、宜しからぬ欲を捨て」とあるは、この「体験の反復を容易に導く奥義にてもあるなり」。御法度の心を起こさざること無論なり。
汝らまこと利口なる者は、この奥義を伝授さるれば喜びて直ちにこれを守り、小利口なる愚者は右顧左眄して妄想の中に暮らし、また是を否定せる大愚者は、唯、物欲の中に安逸を貪りて暮さん。
畢竟、是を守る者、至福の大道に向い、是を躊躇う者、迷妄の道に入り、是を否定せる者、奈落の道に至るなり。
元来人間には天則に基き、実際体験によりて必要なる多くを会得なす方法と、思弁によりてこれ等の諸体験を補充、増補なす方法と与えられあり。
この思弁と申すは、考えを回らすにより、常々に実際体験以上の効果を上げうる知的なる方法なり。
これを端的に申せば、例えば愚鈍なる者は火に触れて火傷を負い、始めて火の熱きを信ずるも、知的なる者は火の性質を学びて、火傷を負わずして火の熱きを信ずるが如し。
地球人はこの火に触れて始めて火の熱きを信ずる型の者多く、直截、至高なる道を撰ぶ者少なきなり。故に実際体験の反復が必要なる訳なり。
然れば既述の如く、宇宙創造の大神様の御諚を固く守り生き、その上に愛念を以って同朋を神の道に導き、この神の言葉なる宇宙の理を世に流布なしたる者は、その茂勲によりて神霊の加護とくに篤く、その者、優良星界人との交流の資格生じ、永遠の至福の路上に昇ること早やからん。』
(完)
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★ その他の宇宙の叡智者からのメッセージ、「超能力の開顕」 |