§指圧百話(7)

指圧を通して体験して来た四方山ばなし


[7] 医王会指圧センター(1)

筆者は以前にも言いましたように、日本指圧学校に通っていた時に、指圧は指しか使ってはいけないようなことを言われ、また親指の爪が剥がれるほど指を鍛えなければならないようなことも言われたことがあり、とても付いて行けない気がしていました。

そんな折に、同級生が「医王会指圧センターの指圧講座のことを紹介してくれて、一緒に行って見ないかと言うことになったんです。それで指圧学校の授業が終ってから、医王会の指圧の講座を受講に行ったんです。

 

御徒町から歩いて7,8分の結構古いビルの中に医王会はありました。中に入って正面に治療室があり、左側の部屋が講習室になっていました。当時の講習の様子は良く覚えていないのですが、十数人の受講生が狭い部屋に一杯でした。

筆者は指圧学校に入るまでは、指圧の世界のことは全く知りませんでしたので、医王会の増永静人先生が、どういう方かも知りませんでした。

ただ、そこでは指だけでなく、身体全体を使うようなやり方を教えていましたので、こちらの方がいいなと言う程度の認識でした。

増永先生は背が結構高くて、顔も大きいし、手もデカイ方でした。ただ、声は比較的高く、治療師と言うよりも学者のような感じでした。浪越徳治郎氏とは全く違ったタイプでしたねぇ。

 

ともかく、そこで同僚と初級講座を終了したんです。その後、中級の講座も受講したのですが、筆者はあまり勉強をするのが好きでないと言いますか、学問的に学ぶことが得意ではないので、経絡の話しなどが出てくると、何か鬱陶しくなったんです。

中級講座はどうしても経絡の理論や実践が中心になりますので、そうしたことが、どうも頭に入らないところがあったんです。それで、中級講座は途中まで行って、その後は止めてしまったんです。

筆者は昔から、そうして中途で止めてしまうクセがあって、何をやっても中途半端なところがありました。どちらかと言うと、熱しやすく覚めやすいタイプでした。

で、その後は指圧学校に通いながら、自分の知り合いの指圧治療をしたりして、技術の習得に努めていました。

 

そうこうしている内に、指圧学校の卒業も間近になり、無事に指圧の免許も取得できることになった頃、医王会で働きながら指圧学校に来ていた若者が声を掛けてきたんです。

その人とは指圧学校のクラスは別だったんですが、医王会で顔を見知っていました。その彼が、卒業したら、医王会で働かないかと増永先生が言っておられるよ、と言ってくれたんです。


正直なところ、指圧学校を卒業しても、どうやって行ったらいいのか皆目分からず、何も計画も無かったものですから、これは有難いと思い、直ぐに承知をしました。

 

今から考えて見ると、そうやって増永先生が声を掛けてくださったことは本当に有難いことでした。ただ、医王会で講習を受けていた時にはそれ程、増永先生と話をしたことはなかったので、ちょっと不思議な気もしました。

そうやって医王会指圧センターで働くことになったのですが、あまり詳しいことは聞かず、給料なども一切、気にせずに働き出しました。

さっきも言いましたように、医王会の中級の講習は中途で止めましたので、完全に医王会式の治療法を身に付けてはいなかったのですが、もう10年もやっているような態度で患者の治療に臨みました。

 

当時、医王会には中年女性の治療師が多く、男女合わせて十数人の治療師が交代で働いていました。また筆者と一緒に新たに数人が入ったんです。

働き始めて分かったんですが、以前から居た治療師、特に女性達は増永先生をまるで神様のように崇めると言うか、祀り上げていました。

増永先生も、さっき言いましたように学者タイプの風貌ですし、あまり歯を出して笑ったり、冗談を言うタイプではなかったので、ピリピリした雰囲気がありました。

でも、増永先生ご自身は全然、気取ったり、偉ぶったりした所はありませんでした。ただ、弟子達が勝手に崇めていたために、先生自身もそれに乗せられた感じになっていたようです。

それが証拠に、筆者達が入って、言いたいことを言って楽しくやるようになってからは、増永先生も笑い顔が増えてきて、全体の雰囲気も変わって行ったんです。

それから、増永先生は人の出入りを余り気にしない方で、入る者拒まず、出る者拒まずで、自由な雰囲気でした。また自分のやり方を押し付けたりもされませんでした。

 

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