§指圧百話(34)

指圧を通して体験して来た四方山ばなし

[34] 外国人の講座(1)


筆者はどういう訳か未だに外国人との縁が切れないんです。自分でも何故だか良く分からないんです。若い頃、英語に興味があって世界各地の若者と文通をしていた時がありましたがね・・・。

サラリーマン生活を送った時は、小さい外資系の男性化粧品会社でした。そこでは英会話は必要なく、輸出入などの書類などを始め、英文の文書には接していました。

ですが指圧の道に入ってからは、もう英語や外人には縁が無いと思っていたんです。ただ、増永先生が生存中に外国人の患者さんが来られたりして、それで何となく筆者が下手な英語で応対したりしていました。

 

その内、自分で独立して指圧の仕事を始めるようになって、取り敢えずは無料で出せる広告は無いかと探している内に、英字新聞やその他の英語の媒体に無料広告を出せることが分かったんです。

その時も特別に外国人を相手にしたいとは思っていませんでした。ただ、手っ取り早く指圧を宣伝したい為に、そうした媒体を利用して生徒や患者を見つけた訳なんです。

勿論、日本人の方にも少しずつアピールをして行ったんですが、どうしても外国人の方が多くなったんです。

 

そうこうしている内に、色んな国の外国人から指圧講座や治療の依頼が増えて行きました。特に各国の大使館や、キリスト教の教会などに出入りするようになりました。

米ソなどの大国の大使館は縁がありませんでしたが、南米各国の大使館(ブラジル、メキシコ、コロンビア、アルゼンチン、チリー、ウルグアイ、ペルーなど)を始め、ヨーロッパ各国大使館(イギリス、スイス、ドイツ、イタリア、オーストリア、スウェーデン、ノルウエーなど)にも行きました。

さらに、オーストラリア大使館にも良く出掛けました。一般の外国人では、これまでに40各国ほどの国々の方に会って来ています。東京に居ながらですから、自分でもビックリしてしまいます。

ところで外国の大使館と言うと何となく縁の無いところだと思う方もおられるでしょうし、堅苦しく感じる方もおられるでしょうね。

しかし筆者は、何処に行くにもジーパンとデイパックを背中に背負って出掛けました。大使館だからと言って特別に意識はありませんでした。大使達も嫌な顔された方はありませんでしたよ。


その当時は日本もバブルの時代でしたから、大勢の外国の大企業の社員達が東京にやって来て、高い家賃の高級マンションに住んでいたんです。その彼等からの依頼もよくありました。

当時、指圧の講座は外国人に何名かのグループを作ってもらって、筆者がそちらに伺って指圧を教える形が主でした。

一つのグループが終了すると、他のグループを紹介してくれるといった按配で、結構次々に講座をこなしたものです。ですが現在は、そうしたことは殆どありません。隔世の感があります。

そうした時代に、ある時、昭和女子大学がカルチャースクールを開講したんです。そこに外国人に日本の文化を教えるような内容があって、指圧も取り入れてくれることになったんです。

その情報を誰か、筆者のことを知っていた外国人の方が教えてくれて、その方が昭和女子大学の担当者に推薦してくれたんです。

 

詳しい経緯は覚えていませんが、昭和女子大学構内で指圧の講座を担当することになったんです。生徒が集まるかどうか危惧したんですが、10人近くは集まったと思います。

外国人を教えることは、それまでの体験で何の問題もありませんでしたが、女子大学の構内で行なうのに、ちょっと戸惑いもありました。

兎も角、生徒達も喜んでくれて何回が過ぎた頃、これもどう言うキッカケだったか忘れましたが、「Tokyo Weekender」と言う無料で配布されていた英字新聞の記者がインタビューに見えたんです。

その新聞で自分のコラムを持って毎週、トピック記事を書いていた著名な女性ライターでした。授業の内容をご覧になり、生徒に質問をしたりしながら、筆者にあれこれ質問されたんです。

その内容が翌週の「Tokyo Weekender」に掲載されたんですが、実に良くまとめられていて、筆者の言わんとしたことを十分に取り上げて下さったんです。

その内容が素晴らしかったので、今でも英文の指圧案内パンフレットにその文章を掲げているほどなんです。その後も何回か別の方のインタビューを受けましたが、この方の記事が一番よかったです。



ートップへー ー前へー ー次へー

 


 

 

 

Google
WWW を検索 www.shiatsu-k.comを検索