◇医王会指圧センター(10)


今回を持って一先ず、医王会関係の話題は終えたいと思います。後日、また思い出すことがあれば、その折りに触れたいと思います。

一応、増永先生の最晩年のことを申し上げたいと思っていたんですが、先日フランス人の指圧オタクのような人から面白いことを聞かれましたので、そのことに付いて述べたいと思います。

 

それは、浪越徳治郎先生は90歳以上の長寿であったのに、増永先生は57歳と言う若さで亡くなったのは、どうしてなんでしょう、何か理由があるのですかと言った質問でした。

成程、同じ指圧の道を歩みながら、一方は長寿、他方は少し早く亡くなられた訳ですから、そのような感想を持たれるのも自然かも知れませんね。

ですが、両者のことを存じ上げている筆者としては、そうした外見的な見方には同調できません。人間の生死のことは外から見て、どうのこうのは言えないからです。

 

お二人は指圧の業界において確固たる地位を確立され、指圧の普及に甚大なる貢献をされたことは間違いありません。

そうした意味では長生きしたから意味があったとか、短命だからどうのこうのと言う短絡的な判断は出来ませんよね。

お二人の指圧に対する考え方、行き方の違いや、持って生まれた性格、また業因縁など複雑な要素が絡み合っての一生ですから、寿命の長短など比較する意味が無いと思います。

ただ、お二人を外から見ていると、浪越徳治郎先生は何時もワッハッハと笑っておられた印象が強いので「陽」、増永先生は学研肌でクールな感じでしたから「陰」と言えるかも知れませんね。

 

浪越先生は生来の社交家と言えるほど指圧業界だけでなく、各方面の方々との交流が盛んでした。取り分け或る相撲部屋との関係が深かったようです。

大相撲の千秋楽の後など、その部屋の力士達が指圧学校の最上階の部屋に来て宴会をやっていましたからねぇ。タニマチ的なことをされていたようでした。

その他、テレビなどにも盛んに出たりして、あらゆる所に顔を出しておられましたたよ。言えば、指圧学校の広告塔的な働きをされていました。

そのお陰で、指圧が日本中に認識されるようになったと言えます。そういう意味での功績は大きいですよね。ですが、指圧の医療的な面をアピールされたのは増永先生だと思います。

 

増永先生は京都大学の哲学科を卒業されており、先ほども申しましたように、浪越先生のような社交家ではなく、指圧一途の学研家だと言えると思います。

増永先生は指圧学校で教えているような指圧のやり方に疑問を持たれて、経絡指圧を確立され、それを指圧の治療を通して実践され、その効果を実証されました。

指圧は寺子屋式にマンツーマンで教えないと身に付かないと考えられて、医王会指圧センターを設立され、指圧の治療と講習に全力を上げられました。

その上、指圧の普及の為に何冊も著書を執筆、出版されたんです。その点でも、浪越先生とは違いますね。浪越先生の著書は少ないですものね。

浪越先生はある時期から、あまり治療に従事されなくなり、指圧学校でも漫談程度の授業しかされていませんでした。広告塔に徹しておられたのかも知れません。

一方、増永先生は病に倒れる前まで、治療と講習、執筆、さらに晩年は海外での指圧講習などをこなしておられ、明らかに過労になっておられました。

 


さっき質問があったように、どうして増永先生が早死にされたかの原因の一つは、そうした過労があったかも知れませんねぇ。

増永先生は大腸がんで倒れる前に、最近は下痢っぽいとか、手の指が荒れると良く言っておられました。ご自分でも大腸の異常を感じておられたようでした。

結果的には、大腸がんの為に医王会に出て来られなくなってから自宅で療養されることになりました。指圧に対する信念が強かったので、病院に入院されませんでした。

 

その代わりに、毎週、医王会の所員から指圧の治療を受けられました。筆者も何回かご自宅に伺って治療をさせてもらいました。

ただ、残念ながら、筆者はそうした指圧の治療では余り効果が期待できないように感じていました。そういう状況でも、増永先生は自宅療養を続けられたんです。

増永先生は最後まで指圧で何とか出来ると考えておられたようです。ですが、一年近くの自宅療養の結果、最後の1週間は病院に入院されて、そこで他界された訳です。

増永先生は浪越先生に比べると早死にだったかも知れませんが、現在、世界中で普及しているのは増永先生の経絡指圧です。生前、命を削るようにしてご尽力された結果ではないでしょうか。

(つづく)

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