それ程広くない治療室に左右両側に、合計10人が横になれるように治療用マットが敷いてありましたので、全部が埋まると大変に騒がしい治療室になりました。
何しろ、常連の患者さんも多く居ましたので、患者さん同士が治療中に互いに話し合うのが常でしたので、あっちこっちから声が飛び交うんですよ。
それに治療師が一緒になって話に割り込みますので、それはそれは騒々しいぐらいでしたよ。でも、そうした雰囲気が良くて来る方が結構ありました。
当時の増永先生は、まだ「経絡指圧診断用図」(指圧用の経絡図)を完成されていませんでしたので、そのれを完成させるために色々と試行錯誤をされていました。
結局、所員の誰かを裸にして、身体に直に12色の粘着テープを貼り付けて、12経絡の走路を確定させようと一所懸命に取り組んでおられました。
その様子を写真に取って、最終的な経絡要図を作成されるに至ったんです。それ以来、完全経絡治療用図として発売されるようになったんです。
その治療用図は、主に指圧用に作成されていますので、鍼灸用の経絡図とはちょっと違います。鍼灸用は上半身6経、下半身6経と言う風に分かれていますが、指圧用のものは全身12経絡が表示されています。
この経絡図が世に出てからは、鍼灸師の方も鍼灸用の経絡図ではなく、この増永先生の経絡図を使って鍼灸の治療に当たられる方も増えて来ました。
ところで、増永先生は当時、古い所員達から祀り上げられていたと前に書きましたが、筆者なんかには普通に接して下さり、目を掛けて下さいました。
毎日のように増永先生に接している内に、何か筆者のことを買いかぶっておられて、どうも筆者を跡継ぎにしたいような雰囲気を感じるようになったんです。
ある時、先生ご夫妻が何かの縁で香港に行かれ、そのお土産に筆者に特別にネクタイをプレゼントして下さったんです。それで余計に先生の特別な意識を感じたんです。
本当なら、先生に期待されて有難いことなんですが、筆者は先生とは違った考えがありましたし、医王会のような小さな組織に捉われるのがイヤだったんです。
筆者はサラリーマン時代もそうだったんですが、どうも組織が嫌いなんですね。どうも人の上に立って命令することも嫌いですし、逆に命令されるのも嫌いなんですよ。
ようするに組織には向かない、一匹狼タイプなんですね。こうした意識がありましたから、増永先生に目を掛けて頂くのは有難迷惑の観があったんです。ほんと天邪鬼ですよね。
増永先生は、年に1、2回は一泊で所員と一緒に行楽と講習を兼ねて、温泉地に行っておられました。しかし、筆者は一回、忘年会に出席して以来、その後は全然参加しませんでした。
これまた、サラリーマン時代に散々、社員旅行にいったり、宴会の手配をしたりして、もうそういうことに飽き飽きしていたことが原因でした。医王会に来てまでそんなことはしたくない、と言う気が強かったんです。
でもねぇ、他の所員からは筆者は変人だと思われていたかも知れませんねぇ。特にその当時の筆者はそうした偏りがあったことは確かですね。勿論、今でもグループであれこれするのは好きではありませんがね・・・。
尚、当時の医王会は上野(御徒町)がメインでしたが、銀座にも治療室を開いていました。ですから、所員が上野と銀座を交代で行き来する状態でした。
銀座の方は日光ホテルの前の古い建物の2階にありました。でも、一階は「銀座ウエスト」と言ぅ有名な洋菓子喫茶があったんです。場所的には一等地でしたよ。
次回は、そうした様子や患者さん達のことを記して見たいと思います。
(つづく)
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