§指圧百話(10)

指圧を通して体験して来た四方山ばなし


[10] 医王会指圧センター(3)

筆者が医王会指圧センターで働くようになった頃は、以前にも申しましたように、増永先生は古くから居た所員(治療師)達に神様のように崇められていた観がありました。

それも男性達よりも、女性達の間でそのように思われていたようでした。どちらかと言ぅと風貌が研究熱心な学者タイプに見えましたから、余計にそのように思われたのでしょう。

確かに、外見だけを見ますと、当時名を馳せていた故・浪越徳治郎氏を「陽」とすると、増永先生は「陰」の感じでしたね。でも実際は、そうではなく、気さくな飾らない、どちらかと言ぅと一本気なところがある方でした。ですから、筆者には接し易い先生でした。


増永先生の詳しい経歴は知りませんが、筆者と同じ広島県の出身なんです。男兄弟3人で、何れも京都大学で、頭のいい家系だったんでしょうね。

ご母堂様が指圧のような治療をされていて、息子の誰かに継がせたかったようで、結果的に増永先生が継承者になられたと言ぅ話でした。

浪越指圧学校(現・日本指圧専門学校)の第一期生として卒業された後、指圧学校で10年近く臨床心理学を教えておられたそうです。

京都大学の哲学科で心理学を学ばれたようでしたので、その関係で臨床心理学を担当されるようになったのではないでしょうか。

よくは存じませんが、その間、学校でやっている指圧に飽き足らず、ご自分で古典を紐解きながら色々と研究を重ねて行かれたのではないかと推察されます。

 

そして10年後に、ご自分の理論を実践の場で試そうと思われて、学校を辞めて医王会指圧センターを設立され、患者の治療と生徒の育成を図られるようになったわけです。

増永先生としては、プロの指圧師は理論と実践の両方が必要であると強く感じられていましたので、医王会のような塾と言ぅか、師弟一体となって学べる場が必要であると認識されていたようです。

 

当時の先生は、まだまだお元気で、治療と講習の両方をこなしながら、色んな所に原稿を書かれたり、時々、地方に講習に行かれたりと大変に多忙でした。

また、浪越指圧はダメだとか言われたりして、まだまだ血気盛んな所があったようですが、その後は、浪越指圧の良さを認められるようになりました。

筆者が思うには、こうした手技の治療では、理論が分かり、技術もあるからと言って、それだけで治療効果が出るものではないんじゃないかと考えています。

浪越式だとか増永式(経絡指圧)だとか、その他色々とありますが、そうしたことで治療効果が出るのではなく、治療師一人一人の想い(愛念)が大事ではないかと思います。

そうした点で晩年の増永先生が、他のやり方も認める発言をされたことは非常に良かったなぁと思っているんです。もし先生が今日まで生きておられたら、全く違ったアプローチをされるだろうと思います。

飽く迄も、その当時(増永先生の晩年)は、そのように考え、そのように実践され、そのような効果を上げておられたと言ぅことですよね。


筆者はこれまでにも他の所で度々述べて来たことですが、現在、この地球の波動はドンドンと高まっています。これは今後も益々、急速に進んで行く筈です。

そうした大変化の時に、未だに肉体のみが全てであるように錯覚して、病気の原因すらもハッキリと理解していないのに、ただただ、凝っている所を強く押すような治療が大半です。

本来、人間には病気は無いのに、何故に病気になったり色んな症状が出るのか、それを良く考えて、その上で治療をして行くのが本来の在り方ではないでしょうか。

そして更に、患者にどうして病気になるのかを伝え、二度とそうならにようにアドバイスを与えて行くことこそ、治療師や医者の役目ではないでしょうか。

何時までも、指圧は指で押すものだからと言って、グイグイ押していたのでは、今後の波動の高まりに付いて行けないことにもなり兼ねません。今こそ、治療師として如何に在るべきか真剣に考える時ではないでしょうか。

-UP-

 ートップへー  ー前へー  ー次へー

 


 

 

Google
WWW を検索 www.shiatsu-k.comを検索