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医王会指圧センターには常時、十数人の治療師が働いていました。夫々、時間帯や曜日によって出勤する日が違っていましたが、みな一癖があり、多士済々でしたよ。
全員が増永先生の指圧の講習を受けた者達でしたが、誰一人として同じやり方をする者はいませんでしたよ。自分のやりたいようにやっていましたね。
増永先生はそれらを見て、特に注意をするとか、やり方を直すなどは一切されませんでした。彼等のやり方に任せておられました。
他の所は良く知りませんが、往々にして、指導者は自分のやり方を弟子に当たるものに押し付けるところがありますが、増永先生はそういう所がありませんでした。
ですから、所員(治療師)も自由に止めたり、入って来たりしていましたよ。ただ、男性の所員はどうしても独立を考えますので、次々に止めて行きました。
勿論、その後は講習を終了した新たな者達が入って来たわけです。筆者が医王会に入った時は数人が一度に入りましたので、一気に賑やかになっていました。
当時は余り広くない治療室で、多い時には一度に十人の治療をすることもあり、隣の患者さんとの距離が30センチぐらいしかない状態で、やり難いこともありました。
また、患者さんと治療師が話しながら治療をするもんですから、賑やかで、とても静かに治療を受ける状態ではありませんでした。
中には患者さん同士で話しながら治療を受ける方が居たりして、始めて治療に見えた方はビックリされたのではなかったでしょうか。
その当時の増永先生は、講習生の講習をしたり、その合間に患者さんの診断をしたりと、連日、多忙にされていました。その上、色んな所に原稿を書いておられたんです。
さらに、医王会に出られない日には、自宅で患者さんの治療をされていたようです。そうした過労が早く他界された(57歳)原因だったかも知れません。
ところで、その医王会の面々ですが、今思い出しても、面白い方々が沢山おられました。
例えば、N氏は当時、結構年配で治療歴も長い方でしたが、小柄で人当たりのいい人でした。その彼は何時も、「指圧で何でも良くなりますよ」と言うのが常でした。
その彼のやり方は、増永先生が教えておられたものとは大部違っていました。既に自己流のやり方を編み出され、小柄な身体全身を使った独特なものでした。
また、同じく中年のK氏は、これまた違ったやり方でした。どちらかと言ぅとマッサージのように動きが早く、ジッと持続圧を入れると言ぅものではありませんでした。
ですから、勢い圧が強く、痛いと感じるやり方でした。でも、時間をかけてネチネチとやるタイプでしたので、中年女性の患者さんの評判が良かったですよ。
若い所員の中で、T氏はなかなかのテクニシャンで、ちょっとニヒルなところがあり、女性に人気がありました。その彼は指圧よりも、カイロのような矯正が得意でした。
その所為で、医王会もサッと辞めて、自分でカイロの治療院を開いて大いに活躍したと聞いています。自分の生き方に忠実な方でしたよ。
その他、同じ所員の女性と結婚した若い男性所員は、大変真面目な方で、やり方にもそれが現われていました。押し方が強いので、痛いんです。
でも、凝っている方や強モミが好きな方や、また一部の女性には大変に人気がありました。やはり医王会を辞めて広島の方で治療院を開業されていると聞いています。
筆者よりも以前に医王会で働いた或る男性は、どちらかと言ぅと普通の指圧と言ぅより、手かざし的な治療をしていました。患者の悪いところから黒い煙が立ち昇っているなどと、一種の霊治療てきな要素も持っていました。
その彼は、どういう伝があったのかは知りませんが、医王会を出て、ヨーロッパを中心に海外で講習をしたりして放浪をしていましあが、その後のことは良く知りません。
それと、もう1人、海外に出て行った若手がいました。彼は変わった経歴で自衛隊上がりで治療師になった方で、イタリアに行き現地で結婚をして、今でもイタリアを中心に講習などを続けているようです。
とにかく、その他色々な方がおられ、当時の医王会は熱気に溢れていました。少なくとも、増永先生の生前中は・・・。
(つづく)
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