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筆者が増永先生とご縁を頂き、医王会で働かせて頂いたのは、増永先生の晩年の時代になります。
前にもちょっと触れましたが、「経絡診断治療要図」を完成させる為に色々と工夫と試行錯誤をされていた時代です。
やがて、それも完成して完全な診断要図として世間で販売されるようなりました。現在では、広く世界のあちこちで利用されています。
また、本来、増永先生は英語を苦手としておられたんですが、著書の『指圧』が英訳されることなり、ニューヨークの大橋氏などと色々と折衝をされたりしておりました。
その後、この英訳本(『Zen Shiatsu』)が出版されたことで、増永先生もアメリカやフランスなどに講習に出掛けられるよになりました。
さらに、一般の人に指圧を普及する為に通信講座を行うことになり、その講座本を作成する為に治療時間の合間をぬって執筆されていました。
ところで、この通信講座を取り扱う小さい出版社と縁が出来たことで、その出版社のある新宿のビルの一室で医王会の分室を作ることになったんです。
これまでは上野と銀座だけの治療所でしたが、その上に新宿分室を作ることになったんですが、誰が考えても採算のとれないことは目に見えていました。
地下鉄の新宿三丁目駅のすぐ側のビルの中で、本格的な体裁を整えることが出来ない、簡易の治療所と言う感じは否めませんでした。
ビルの外に看板を掲げるでもなし、一見の患者にアピールできない状況でした。そして所員が二人ずつ交代でそちらに出向くことになったんです。
でも予想通り、始めから暇で、時間を持て余す日々でした。来られる患者さんは、上野や銀座に来ておられた方達が殆どでした。
また、通信講座の方もその後、どのようになったのかは詳しくは知りませんが、そんなに長続きはしなかったように記憶しています。
どうも、増永先生は人が好いといいますか、他からの誘いに簡単に乗ってしまい、直ぐ行動を起してしまうところがあったようです。
こんなことがあったにも拘わらず、今度は銀座に来ておられた、ある不動産屋の社長の勧めで熱海に出張所を設けることになったんです。
この不動産屋の社長は有名な方で、銀座にビルを持っておられたんですが、それが最近(平成19年4月ごろ)、取り壊すのどうので話題になっている、建築家の黒川紀章氏による有名な建物なんですよ。
この騒ぎを聞いて、余計に当時のその会社の社長のことや、熱海の出張所のことを思い出したんです。この時も、所員一同、何で熱海まで行くの?、と言った感じで受け止めていました。
増永先生の考えでは、この社長が熱海にライフケアマンションと言う、老年者向けのマンションを何棟も持っておられたので、そちらからの患者を期待されていたようでした。
これも、その社長の言葉をそのまま鵜呑みにされてのことだったのでしょう。こちらも、先の新宿と同様にその会社のビルの一室を借りて、そこで治療をする状態でした。
ですから、治療所の体を為していない上に、場所も狭く、今考えても、どんな様子だったか思い出せないほどです。
こちらは週3日ぐらいだった思いますが、所員が2人、交代で新幹線を使って出張治療に行ったわけです。
勿論、看板は表に出せませんので、その会社のマンションの住人しか当てに出来なかったんです。ですが、それも、ままなりませんでした。
あ、そうそう、この時は一晩泊まって2日がかりで治療に当たったんでした。その宿泊所も何処だったか忘れましたが、確か来宮あたりの小さい宿舎のような所でしたよ。こちらは賃貸で借りていたようでした。
こんな状態でしたからねぇ、どのくらいの期間やったのか今は定かではありませんが、こちらも長くは続かなかったんです。残念ながら・・・。
(つづく)
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